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訳書『ショパン プリンス・オブ・ザ・ロマンティクス』の書評が、北海道ポーランド文化協会誌に掲載されました!関口時正先生からお知らせ頂きました。

取り上げて下さったのは北海道情報大学の三浦洋教授で、氏はショパン協会北海道支部の理事の肩書もお持ちです。

ショパンの作曲の師エルスネルと、ワルシャワオペラ座の指揮者クルピンスキ。この二人の対立に目を向けられたのは、よほど19世紀初頭のワルシャワの音楽界事情にお詳しい証拠です。ショパンはこの二人の間に立たされて、対立の火の粉がかかりそうになったことがありました。

またショパンの元を去っていくユリアン・フォンタナの慟哭の手紙にも注目され、これが日本語になったのは、ご自身が知る限りでは初めてだと書かれています。私もこの手紙を知ったのは初めてでしたし、訳しながら、天才と凡人の残酷な運命を知るに及んで激しく心が揺さぶられました。

この訳書で明らかになった人間ショパン。周囲を取り囲んでいた友人、弟子、女性たちとの親密な付き合いを通して透けて見えてくる生身のショパン。

アダム・ザモイスキの綿密な調査、それは私たちには到底手の届かない情報にまで到達できる立場をも使って一次資料へアプローチをし、マグナートと言われる大貴族ザモイスキ家出身という出自をもって、ヨーロッパの人間関係史についての幅広い知識をベースに持ち合わせた上で、根気強く事象を紐解いていく力によって成し遂げられた著作なのだと認識新たにしました。

そして改めて、原文を見つけた大西直樹先生の直感力、見分ける力は、鼻をクンクンさせてトリュフを掘り起こす🐷トリュフ豚に例えては大変失礼ですが、すごいものがおありです。

大西先生がショパン研究においてフィールド外の門外漢であることも、すでに塗られた色の影響を受けずに判断できた要因の一つです。

作曲家でも同じことが言えると、少し前から感じていました。

若くしてポーランドを出てリストに師事し、生涯を異国の地で過ごしブリュッセル音楽院教授になって程なく没したザレンプスキ、ドイツ人作曲家として世に認識されているモシュコフスキ、れっきとしたポーランド人であり、ポーランドに対しての想いは作品から強く感じられるけれども、ポーランドでは必ずしも自国が誇る作曲家と位置付けされていないように見受けられます。

アダム・ザモイスキも両親がNYに亡命して、自身はイギリスで教育を受けているので、その著作は純粋なポーランドの文献の網にはかかってこない。ポーランド語で書かれたものが第一優先なのは当然ではありますが。。。。

出版以来何度となく部分的に読み返してきましたが、少し目を離すと記憶が曖昧になってしまうのは楽譜と同じです。

弾いている曲の楽譜をもう一回見直してみると、あれ、ここF(フォルテ)だったのね!と、よく知っているフレーズが新鮮に蘇ったりすることがあります。記憶が薄れるおかげでいつでも新鮮!!とはよく言ったもの。

また思いを新たに、三浦洋先生がポイントして下さった部分を読み返してみることにしましょう。

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