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『ショパン プリンス・オブ・ザ・ロマンティクス』出版を記念して、楠原祥子ピアノリサイタル3月23日(木)19時開演 銀座ヤマハコンサートサロンは、おかげさまをもちまして終了しました。

ご来場下さいました皆様、誠にありがとうございます!

またその後に数名の方がFacebookなどSNSにアップして下さり、華を添えて頂いて嬉しく思っています。重ねて御礼をお伝えいたします!

プログラム前半は初だしの曲が多く、緊張しました。よくさらったことは確かなので、そのことが気持ちの支えになりましたが、何度かステージで弾いている曲は、曲が心の中でどんどん流れていくので、それにリードされながら弾き進んで行けますが、初だしの曲はそうはいきません。初心者マーク🔰付きの車と同じで、何食わぬ顔をして走ってはいるが余裕ゼロ。。。!

新しい曲を譜読みしてステージにのせる。これは永遠の課題ですから、当然の結果として「初だし」の緊張も永遠の課題です。

経験を積んでだいぶ厚かましくなったので、想定していなかった音がでても、とにかく一旦弾いてしまった音のことは、どんどん忘れていく!それができるようになってから、先のフレーズに意識を集中できるようになりました。これは時間をかけて得た演奏の術の一つです。

以前は、出した音が想定外だったりすると、そのたび激しく動揺して、その結果さらに推進力が弱まったりしていました。ようやく、動揺はただのムダ!とわかってバッサリ切り捨てるようになりました。

というか。。。

音楽の解釈や答えは一つではないので、想定外の音が出ても平気。その先はそれに合うように弾く、と考えることしています。

さて今回のリサイタル、まずは共訳の大西直樹先生が10分ほど解説で登場されました。裏で緊張しながらも聞いていたところ、やけに会場が沸いています。さすが大西先生!自然な語り口でお話し上手。

そして私が登場します!大西先生のおかげさまで、私も自然な笑顔でにこやかにピアノに向かうことができました。

最初の曲はコントルダンス。ショパンが17歳の時の作品で、元々コントルダンスはショパンの両親の時代に流行った市民階級の踊りで、軽やかなリズムと気取りのなさが特徴です。

わずか3分くらいの曲ですが、これがあるとリラックスできるし、聴衆との間のバリアが取り除かれるように感じられます。誰かと初めて会って、挨拶の後に一言二言交わすと雰囲気が和むのと似ています。

そういえば、友人のポーランド人ピアニストのトカチェフスキがこんなことを言っていました。

あるリサイタルで、ショパンのノクターンではもっとも規模が大きい作品48−1から始めたのだそうです。ノクターンだからテンポはゆっくりで、冒頭は重たい足取りのように始まるのでほんのしばらくは良いのですが、すぐにオクターブでバリバリ弾く部分が始まり、曲の最後はバラードのコーダかと思われるほど大音響になります。

そこに居合わせたポーランドで有名な批評家の一人、ヤン・ポピス氏が、後にアドバイスをくれたそうです。リサイタルの最初にインテンシヴな曲を弾くのは避けた方がいい。なぜなら、聴衆が許容できるキャパシティには制限があるから、そのことを覚えておくように、と言われたそうです。

そういえば、数年前にツィメルマンのリサイタルを聴いた時、いきなりブラームスのピアノソナタ第3番から始まって、演奏の良し悪しとは関係なく、十分に曲の良さを吸収できなかったことを思い出しました。

だからプログラミングがモノをいうのですね。プログラムを決定するまでが、コンサートのプロジェクトとしての半分を占める、と言っても過言ではないです。さて私の話しに戻しましょう。

2曲目はこれがなかなか困難な『ロンド作品1』です。15歳の作品。ピッカピッカの作品1。ショパンが自分の意思で出版した最初の曲です。

この曲については、訳書の中で特別に書かれているわけではありませんが、私自身がショパンの『作品1』を弾いて、これがショパンのスタートです!と示したかったのです。

ショパンの『ロンド』と名がつく曲はすべて弾きました。どのロンドもスケルツォやバラードなどとはまったく違う大変さがあり、特に苦闘したのは『ロンドOp.16』でした。好きで始めたのにとんでもなく苦しめられました(笑)。ブコフスカ先生も全曲録音されています。

「全曲暗譜されたのですか?」「録音の時には暗譜はしないわ。ロンドは経済的な理由で録音したの。」とサラッと仰ったのでした。

とにかく。。。

ショパンの青年時代の作品は本当に弾きにくい!全ての変化が恐ろしく唐突で、転調も、曲想も、音型も、何もかも「難しくしてしまおうっ」とばかり、唐突に出現する次のフレーズに苦しめられるのです。

でも若書きのフレッシュさがたまらない魅力をもたらしているのも確かです。もう少し弾いてみようかしらね。

そして次は19歳の記念碑的作品💖 ショパンの初恋の恋心によってほぼ一晩で書き上げられ、密かにコンスタンツィアに献呈された曲。ピアノ協奏曲第2番の第2楽章『Larghettoラルゲット』(ソロ版)です。至るところにコンスタンツィアへのショパンの想いが溢れています。

正確に訳書から引用すると。。

「ショパンが自ら曲について説明を加えよう試みた唯一の作品である。『この曲は強くなることはなく、ロマンティックで、静かで、憂鬱なのです。こんな印象を与えると考えて欲しい。幾千もの愛しい思い出が蘇ってくるその場所をずっと見つめるように。そして月の光で照らされた美しい春を夢見るようです』」あ

こんな曲を生み出してくれてありがとう、としか言いようがありません。

そして前半最後は、4つのマズルカ作品17。4曲目が14歳の時にシャファルニア村で弾いた自作「ユダヤ人」を改作したと言われる超名作です。

この作品17も4曲まとめては実は初だしです。1曲目が威勢よくマズールで始まるせいで、これまで敬遠していました。

マズルカは、組曲として、3曲かまたは4曲で連作としてのまとまりを作っていますが、これを取り上げてみてわかったのは、3曲目が鬼門だということ。あくまでも私にとってのオハナシですけど。

フランツ・リスト著のショパン伝の中で、リストだからこそ切り込めたマズルカについての評があります。かなりのページ数があり本当にすごい。当時マズルカをここまで理解したのは彼をおいていないのではないか。

その中に『いたずら好きな恋するシルフ(風の精)のたくらみのように陽気で幻想的なもの、またサラマンダー(火の精)のように揺れ動く光のなかで戯れているもの・・(続く)』と言う文があり、作品17−3はまさにシルフのたくらみなのだろうと想像しました。

・・したのですが、

私が取り組むとオルゴールとしか思えないのです。練習しながら本当にめげそうでした。このオルゴール、なんとかしなくちゃ、と気持ちは焦る。回数弾けばなんとかなるかもしれない、と10回くらい弾いてみる。と、ますますオルゴール化する。かなりへし折れましたが、何回かに1回はシルフのたくらみに感じられることもありました。

余談ですが。。。

リストによるマズルカ評の翻訳も色々あり、上記は出版されて2年になる八隅裕樹さんの訳です。

それ以前の翻訳では『サラマンダー』がトカゲと訳されていて、「トカゲの背が七色を放つように」とあったのでそう信じていました。トカゲね、マズルカにトカゲの背が輝くようなところなんかあったかしら。。と疑いつつも、リストの鋭い感性なのだろうと理解していたのです。

もっとすごいのになると『オオサンショウウオ』(?!)という訳もあります。なんでマズルカにオオサンショウウオ❓ちょっと考えれば違うとわかりそうなものです。

八隅さんのおかげで、「風の精」と「火の精」が対比を成して登場するのだとわかり、ようやくリストの意味するところがわかったのでした!

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