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さて続々編です。

ショパンバラード第4番Op.52  124小節

校訂という作業につきものの様々な困難は当然あるとしても、ショパンのバラードは音が複雑なだけに、音の選択に問題が多かったことは容易に想像がつきます。

この譜はその代表的な一例。第4番Op.52の第124小節です。この次の小節でAs-dur変イ長調へと変容を遂げる華麗な部分です。

ぐるっと○で囲んだ高音部のド♮とファ♮。これがエキエル版特有の音です。

この2つの音はこれまでの版はド♭とファ♭。♭が付いていたのです。

もちろん私も以前はなんの疑いもなく♭を付けて弾いていたし、誰でもがそう弾いていた、いえ、今も多くの人はそう弾いています。

それをやおらエキエルは♮を付け、革命的な変化をここの和声進行にもたらした!

と書いてはセンセーショナルですね。実際にはまさかエキエル先生が勝手に♮を付けたのではなく、もともとショパンがそのように書いていたのです。

この2つの音のうちでも、後のファ♮の方は、原資料の自筆譜、フランス、ドイツ、イギリス各初版すべて見てもまったく疑う余地がありません。

ところが、ブライトコップフ&ヘルテルが出版したドイツ初版の第3刷では♭が付いています。

魔法のように出現した♭。。。この第3刷の編集者がどのような判断基準で♭を付けたのか。単なるミスか、理由があったか、もうそこはわかりません。

これほど自筆譜に近い原資料譜に♭が付くと、その後の版はそれを受け継いでいくものです。そうして様々な間違いも受け継がれたものと思われます。

しかし。。。

前の方の音、ド♮については事は簡単ではないのです。

自筆譜はド♭です。それにフランス、ドイツ初版もド♭で出版されています。

それなのになぜか、イギリス初版だけはド♮になっています。そしてそれをエキエルは選択しています。

なぜか。

エキエルは2つの理由をあげています。

1,ド♮であれば前後になめらかな和声進行をもたらす。

2,ショパンは臨時記号を付け忘れることがある。特に同じ小節の中での♮は頻繁につけ忘れた。ショパンのミスだと考えるなら、フランス初版とドイツ初版に♮を付け忘れたのだ、と考えるのが妥当で、イギリス初版に無用な♮をわざわざ書いたとは考えにくい。

説明を補足しておくと、3カ国の出版社に送るために仕上げ用楽譜を3つ作らなければならないわけです。ショパンだけでなく弟子が写譜をすることもあります。その写譜3つのうち1つにだけ♮が書かれているわけです。

その他にこの曲の62小節に、同じ和声進行があることもエキエルは挙げています。

とにかく、この音は物議を醸し出す音。

エキエル先生もこの音の選択には苦慮されたでしょう。自筆譜とフランスとイギリス初版には♭がついていて、多数決(?)すれば2対1で♭が有利。

しかしどちらかがショパンが意図した音で、どちらかが間違いとは言い切れない。

このように原資料の事実からは判断が付きかねる音の場合は、エキエル先生の解釈による判断が入ってきます。つまり【真実のショパン】に、エキエル先生個人の解釈が加味されるわけです。

これこそが校訂編集という作業であり、校訂者の資質や曲に対しての広範でしかも深い知識が大きく関わってきます。信頼できる校訂者でなければ、その楽譜に従う気になれないのは当然です。

「C FLAT!」と、ド♭に絶大な信頼を寄せてコメントして来たのはウィーンのミュラー先生。

「Fは短9でまだありとしても、C♮はないだろうと言いたくなる。」と下田幸二さん。

ここで一石投じたのが菊池祐介さん。

「どれが正しいかよりも、大切なことはどう弾くかだと思う。」

心から同感です。

ここを弾いてみると、ド♭とファ♭だとどうもクレッシェンドはあっても不完全燃焼で、うだうだしているうちに頂点のAs-durに入ってしまっていた感があります。

ド♮とファ♮だと、この進行中に和声が急に明るみを増して期待感が高まり、As-durに到達する”感動“が生み出されます。

あぁ、As-durよ、おまえはやっと花開いたか!!と。

エキエル版を使って弾くなら、その美しさを生かせばいい。その音は変だ、エキエルは間違っているという議論は何も実を結ばないでしょう。

この小節、エキエル先生が苦慮した証拠に『バラード〜原資料に関する解説書』のうちの1ページ半を割いています。

このおそろしく古びた本『バラード〜原資料に関する解説書』を、奇跡的になぜか私は持っていました。1980年代に一度出版されたきりの本、なんの役に立つかもわからずポーランドで買ったと・・・思われます。

『原資料に関する解説』はバラードのみで、他は何も出版されていないので、校訂の詳細を知る上で極めて貴重な資料です。

エキエル版が出版されたばかりの頃、楽譜に従って弾いていくと、それまでとまったく違う響き、つまり安嶋くんが言うところの『チクッとする居心地の悪い響き』がたびたび出現し、なにっ?と、耳が2倍ほどの大きさにダンボ化したものでした。

私のポーランドの師バルバラ・ヘッセ・ブコフスカは、「エキエル版について私に聞かないでちょうだい。あれは次の世代の楽譜よ。私はパデレフスキ(版)で弾いてきたし、それどころか、その前はロシアの楽譜で弾いていたのよ。なんていう版なのかも知らないロシアの楽譜よ。」

グダニスクのスリコフスキ先生は新しいモノ好きの性格もあってか、「エキエル版のセミナーが音楽院であったから聴いてきたが、非常によく考えられた版だね。音はそのうち慣れていくよ。エキエルはタイがきらいだから長い音が無くなったのは馴染めないね。しかし指使いはよく考えられていて非常にいい。」

マナステルスカ先生にインタビューした時の言葉はなかなか忘れられません。「エキエルの仕事に対しては心から敬意を表します。でもパデレフスキで読み、弾き、聴いてきた私にはとってパデレフスキ版は『母の懐に抱かれている』のと同じ。母から離れることはできないでしょう。」

これは音楽学者の田村進先生に依頼されてのインタビューでした。今は亡き田村先生も私も胸を突かれ、しばらく呆然としたことを覚えています。

特に田村先生は『母のような、母の懐にいるような・・・ね。』と独り言のように何度も繰り返され、予期せぬ答えに衝撃を受けていらしたように見えました。

とにかく衝撃的なエキエル版デビューから時は流れ、今は少なくとも私自身はすっかりエキエル版の音に慣れ、【真実のショパン】で弾くことに喜びを感じています。

楠原祥子

どうしても食べたくなって作ってみました!スフレオムレツ。フワッフワ。

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