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ワルシャワで開催された『ピリオド楽器による第1回ショパン国際コンクール』を聴きに来ました。
第一次予選と第二次予選の間の1日に、楽器製作者Beunk氏との会合があり、試奏もさせて頂くことができました。
Edwin Beunk氏は古楽器の修復家の第一人者で、今回のコンクールで使用したプレイエルとエラールはBeunk氏の所有楽器です。ピリオド楽器としては最高の状態を保っています。
現代のフルコンなどとは比べものにならないほど繊細な楽器を次々にコンテスタントたちが弾いていくわけですから、演奏ごとに多少の調整をして整えます。
中には、スタインウェイのフルコンにかける力とほぼ同等のタッチで弾くコンテスタントもいます。
しかし思い起こしてみれば。。。
18世紀初頭のパリには、ショパンやリストやタールベルクをはじめ、イナゴの大群のようにきら星ピアニストがひしめいていて、そのうちの一人ドライショクの演奏は、『パリでドライショクが演奏すると、風向きがよければミュンヘンでも聴こえるだろう。』と言われたのですから、タッチの強い大音響ピアニストは当時からいたわけです。
リストの演奏も雷鳴轟くようだったと評されるのですから、かなりの音量だったはずです。
リストが好んで弾いたエラールは強靭なタッチにも十分耐え、もっとも交響的な響きがします。
今回のコンクールでは、コンテスタントはワンステージで3台まで楽器を変えることが許され、また作品ごとにふさわしい楽器の選択も審査の対象になります。
 
それとは別に、第1次予選で私がもっとも魅了されたのは、ショパンがワルシャワ時代に所有していたBuchholtzの響き。
ショパンの楽器は、ワルシャワ蜂起の際に、ザモイスキ宮殿の窓から投げ捨てられ焼失してしまっており、今回のはレプリカで、非常によくできた楽器との評価を得ているそうです。製作はポール・マクノルティ氏。
その響きは優美で、立ち上がりはチェンバロに近い音がします。そして楽器の中で音が混じり合い、その後反響版を伝ってホールに共鳴します。
楽器の底部に板が貼られており、ボックス型ピアノ構造になっているのが特徴で、反響板を閉じれば完全なボックスになります。
ショパンがBuchholtzで作曲した曲は多数あります。遺作ポロネーズの数々、2曲の協奏曲、その他エチュードの数曲も含めて多数作曲に使っています。
第一次予選の課題曲には、遺作ポロネーズと、さらにシマノフスカ、クルピンスキ、オギンスキの「さらば我が祖国よ」といった、国が消失していた時代に民衆の民族意識を鼓舞するためのポロネーズの2曲が入っています。
敢えて、ショパンと、同時代の作曲家によるポロネーズと、2曲を課題曲にした意義も考えさせられるものです。
特有のノスタルジーやメランコリーの心に染み入る表現を、数名の出場者によってこのBuchholtzで聴いた時、初めて、やっと、ショパンの若き時代のピアノの響きを耳にしたと思えたのです。
楠原祥子

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