ESSAY

エッセイ

「わが心の曲」

我が心の曲は何ですが?と尋ねられたら、それはもう迷うことなく、ショパンの『バラード第4番』です!留学以来のポーランドとの長いつながりも、この曲が発端になっています。

大学4年の夏、たまたまワルシャワのショパン音楽大学の夏期講習でバルバラ・ヘッセ=ブコフスカ教授のクラスに入り、バラード4番を弾きました。それを聴いて下さったブコフスカ先生は、

「あなたの大学に大学院がなければ、ここで勉強を続けてはどう?私がみましょう。」

思いがけず頂いた言葉に、私の気持ちは留学にどんどん動いていきました。

 

大学の卒業試験の曲選びでも迷わず、

「先生、バラード4番が弾きたいです。」

「みんなあれが好きだねぇ。なかなか難しいよ、あの曲は。他も少し考えたら。」

「・・・はい。」

この“はい。”は、まったくその場をしのぐだけの生返事で、もう心に決めていたし、故林秀光先生もきっとそれがおわかりだったと思います。

 

数年前のこと・・・

コンサートのプログラムにバラード4番とワルツ作品64-2嬰ハ短調を入れていました。ワルツを弾いていて、献呈が「ナサニエル・ド・ロスチャイルド男爵夫人へ」となっていることに気が付きました。

あら?・・・確かバラード4番も同じマダムでは?

すぐさま見てみると、やはりそのとおりです。

 

ショパンの中でもこれほどの名曲を2曲も献呈を受けるなんて、いったいどれほど魅力的なマダムなのか、好奇心と羨ましい気持ちが一気に膨れ上がりました。

ロスチャイルド家が極めて大きな財力を持つ名門貴族で、ショパンはパリに出てからロスチャイルド家のピアノ教師もして長く信頼関係が続いていたにせよ、2曲も献呈!これは異例中の異例です。

献呈されるということは、その頃夫人がショパンの周辺に存在していたことを意味します。

芸術に深い理解があったでしょうし、ピアノもかなり弾けたのかもしれません。それにロスチャイルドとなれば美しい貴婦人だったでしょう。。。

 

2曲の曲調にはそれとなく共通性があって、基本は短調、そして薄日が差すように長調になる。下向きのメロディライン。漂うノスタルジー。そんな雰囲気をまとうマダム。2曲をさらいながら、半分以上は想像の世界に入り込み、夢見心地の心境でした。

 

その年の夏、ポーランドでその2曲も弾いたコンサートを終えて、帰りがけにパリにステイし、オルセー美術館に立ち寄りました。

左手の階段を登りきって少し奥まった部屋に入ると、いきなり目に飛び込んできたのは、鮮やかなブロンドヘアの女性の肖像画でした。頬は桜色に染まり、陶器のような肌の白さを際立たせています。何というあでやかさ。リムスキー・コルサコフ夫人でした。

圧倒されつつその部屋を去ろうとした時、コルサコフ夫人の対面の壁に、ひっそりと飾られた、小さくて地味な肖像画が目に留まりました。黒いローブがただならぬ重厚感を絵に与え、シルバーというより鉛色のドレスだけにうっすら光が差しています。時代を巻き戻したような古めかしさ。そこにやや陰鬱な表情をした女性が描かれています。

 

絵の横のタイトルを見た私は、息を呑みました。

この女性こそはその人だったのです!「シャルロット・ド・ロスチャイルド」

ナサニエル・ド・ロスチャイルド男爵の夫人、シャルロットの肖像画でした。もしかすると私はこの絵の前に30分も立っていたかもしれません。

 

ショパンが名曲を2曲も献呈した貴婦人は、少しも美しい人ではありませんでした。でも献呈が儀礼上の意味合いが大きいとしても、格別な2曲を献呈されるにふさわしい女性だったことは確かです。夫人はショパンにどんな御礼を伝えたのでしょうか。バラードやワルツを弾いたのでしょうか。

 

後に調べてわかったことですが、シャルロットとナサニエル夫妻はボルドー地区にワインヤードを購入し、現在も市場で人気の高い「シャトー・ムートン・ロートシルド」ブランドを創始しています。他にもシャルロットは、パリ郊外の廃墟だったシトー会修道院と広大な敷地を買取り、改築してカントリー・ハウスにしていました。現在は美しいホテルとなって滞在ができます。そこには何かこの2曲の名残りはないでしょうか。いつか、私も、ショパンがバラード4番が似合うと思ったその夫人の面影を追って滞在してみようと思います。 

(JPTA日本ピアノ教育連盟会報2020年夏号掲載)