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ゲヴァントハウス➕ネルソンス!!今をときめく指揮者アンドリス・ネルソンスが音楽監督を務める世界最古のオーケストラ。

話題のオーケストラであることはもちろんですが、そうでなくても必ず聴きます。なぜかと言えば・・・

ポーランドの友人で音楽評論家アダムの弟、スワヴェクがコントラバスのメンバーなのです!

それに。。。

桐朋の同級生の由佳さんは、主席チェリスト、クリスティアン・ギガーさんの奥様です。ギガーさんのリサイタルを数年前に聴いたことがあります。ものすごく上手い!由佳さんのピアノでブラームスのチェロソナタのプログラムでした。

ウィーンフィルの数日後に、またサントリーホールへ。

ライプツィヒのゲヴァントハウスオーケストラは、元は東ドイツを代表するオーケストラでした。

市民オーケストラとして活動が始まったのは1743年。時は流れてメンデルスゾーンが指揮者を務めていた1835年秋、そして翌年1836年秋のことです。

ショパンはメンデルスゾーンに招待されて、ライン川下流音楽フェスティヴァルを聴きに、パリからはるばるライプツィヒまで出掛けて行きました。メンデルスゾーンはその音楽祭の音楽監督だったのです。

メンデルスゾーンと会ったのち、同じくライプツィヒのヴィーク邸に住んでいたシューマンを訪ね、二人は丸一日というもの楽興の時を過ごしたのでした。ショパンとシューマンが顔を合わせたのは生涯にたったの2回、夢のような会合ですが、いったい二人は何語で話したのかしら。ドイツ語?フランス語?シューマンはフランス語ができたのかしら?

その時にシューマンの前で弾いたのはバラード第1番。この世で初めての『バラード』というソロのピアノ曲をシューマンは聴くことになったのです。

すぐ話がショパンにいってしまいますが、ゲヴァントハウスオーケストラに戻しましょう。

今夜のプログラムの冒頭は、メンデルスゾーン作曲、序曲『美しいメルジーネの物語』作品22です。初めて聴きました。素朴な感じの良い曲のあまり、途中から睡魔に襲われましたが、一音たりとも聞き逃してならぬという強い決心を持って何とか耐えました。

そして、次!チョ・ソンジンがソリストのシューマンのピアノ協奏曲です。

チョ・ソンジンの繊細な音や、多彩な音色の変化が素晴らしいとずっと思っていたのですが。。。どうかしら。。正直なところ今夜はやや単調に感じられました。

くっきりとした粒立ちといい、果敢にオケと渡り合っての推進力は文句なしなのですが、なぜ平板に聞こえてしまったのか。

音色に変化が乏しかったし、それぞれの楽想の終わり方がいつも同じようだったし、そうなってくると、音楽が表面的に聴こえてしまうのです。

たくさんの拍手に包まれて、アンコールはショパンのワルツOp.34-1As-durでした。繊細で細い音色で流麗で、シフォンのドレスの裾がフワッフワッと浮いて舞うような軽やかさ。これはとてもステキ!

休憩を経て。。。。

素晴らしい!!!と思ったのは、メンデルスゾーンの交響曲第3番スコットランドです。4つの楽章がほぼ途切れることなく弾き継がれていき、ピタリと揃った弦楽器郡。まったく乱れのない精密さ。

オーケストラを聴くとは、何を聴くのだろうか。〜メンデルスゾーンの音楽って古典的だなぁ。〜一糸乱れぬとアンサンブルだ。〜重すぎないけど響きに厚みがあるなぁ。〜ネルソンスの指揮って思っていたよりずっと明解だ。などと考えているうちに第4楽章に入ってしまったのでした。

数年前にウィーンフィルのニューイヤーコンサートをネルソンスが指揮しているのを見た時、不明瞭な指揮だと感じたのが嘘のように、棒が整理されて綺麗な線を描いています。

さまざまな響きを制御して、とても精密にまとめているし、何よりオケの団員が一丸となってものすごく熱意を込めて演奏しているのがわかります。

終わってもちろん大拍手でした!

しかしそれからがすごかった!ネルソンスが団員たちを楽器ごとに立たせて労い、それからアンコールを演奏するのかと思いきや。。。

サントリーホールの隅々まで響き渡るような声で話し出したのです。「この大きなホールでもよく聞こえるようにゆっくり話します」

まず日本で演奏できる喜び、日本の聴衆の素晴らしさを褒め、オーケストラの歴史について少し触れ、手兵の高い技術と能力と今日の演奏の見事さを褒め称え、なんと10分以上も英語で熱弁を奮ったのでした。こんなことも珍しいです。

そして結局アンコールは、「弦楽器が本当に一生懸命必死に弾く曲なんだ」と、今演奏したスコットランドの第2楽章のスケルツォを再演!拍手喝采👏でした。

終演後スワヴェクとANAホテルの「カスケード」前で待ち合わせをしていたので、待っていたら、小泉元首相とすれ違いました。小泉さんもクラシック音楽好きで知られていますね。コンサートをセンター席で聴いていらっしゃいました。

さて、スワヴェック現れる!それから赤坂のコリアン料理のお店へ。

途中で主席チェロのギガーさんにも偶然会うことができ、奥様の由佳さんの近況も聞けました!そして彼も「うん、今日のスコットランドはとてもよく弾けたと思う私も思う!」と言っていました。

オケの団員は多くの曲を演奏しながら、すごく上手くいった曲と、まぁ普通にレベルキープの時との違いをわかっているでしょうね。

今東京には超名門オーケストラ3つが集結していて、ウィーンフィル、ゲヴァントハウス、それにベルリンフィルもです。

指揮者もウィーンフィルはソヒエフ、ゲヴァントハウスはネルソンス、ベルリンフィルはペトレンコ。

私はウィーンフィルを聴いてソヒエフのタクト冴え、才能はすごい!と感じたのですが、スワヴェクに言わせると、ソヒエフは振り過ぎだと。「才能はすごいと思うよ。でも奏者の鼻先まで棒を振ってくるんだ」

鼻先ね、なるほど〜。団員からするとそう感じるのね。鼻先まで振るとは、現実に近くまでやって来て振るわけではなく、細部まで振り過ぎるという意味です。

いち聴衆として見る指揮者と、そのタクトで音を奏でる奏者では見方が違うものですね。

さて、スワヴェクはゲヴァントハウスのメンバーですが、ドイツ国内の別のオーケストラにヘルプで弾きに行くこともあり、ベルリンフィルに弾きに行くこともあるそうなのです。

ベルリンフィルのコンサートマスターは、言わずと知れた樫本大進さんですが、同じ第1コンサートマスターのポジションにポーランド人のヴァイオリニストが就任しています。第1コンサートマスターは3名いて、曲によって変わるがわる演奏しています。

スワヴェクのファミリーは、11歳を筆頭に3人の育ち盛りの子供たちがいて、奥様共々、いつも世話に追われているそうで、ようやく3人が寝ついた頃になると、今度は音楽が聴きたくなって、結局寝る時間はかなり遅くなって、睡眠時間は5、6時間がせいぜいだそう。

ある時ベルリンフィルのヘルプに行くことになり、そんなこんなで子供たちを面倒見た後、夜行バスでライプツィヒからベルリンまで行ったのだけれども、そうそう寝られずのままオケのリハーサルに突入。

楽器がコントラバスなので、第1ヴァイオリンのようにずっと弾き続けているわけではないから、睡魔を堪えて頑張っていたのだが、ついに自分でも気がつかないうちに意識が飛んで、弓を落っことした。

コントラバスの弓ともなれば大きくて重量級だから、ものすごい音がして、他の団員が「何事だっ?」といっせいに振り返ってコンバスの方を見たので、スワヴェクも我に返り、自分だと悟られてはマズイ!と瞬間的に自分も後ろを振り返ったが、壁しかないから、しっかり彼が落としたことがバレてしまったとのこと。

「ひひははっ(笑)!それで落っことした弓を自分で拾ったの?」

「しょうがないよ、拾うしかないじゃないか。完全に寝たのがバレてたよ」

「誤魔化そうってのがそもそも無理よ!」

リハーサルの時でまだ救われたのでしょうが、名門オーケストラでもいろいろなハプニングは付きものですね。

それにしても、私たちが入ったコリアンのお店は入り口のドアを開けっぱなしだったので、お店の中を風が通り抜けてえらく寒かったのでした!それになんと、あんまり笑ったせいで、写真を撮り忘れてしまいました。

次に来日した時には、お寿司とかフレンチグルメしましょ、ということでスワヴェクとさよならしました!

♯ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラ

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