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おだやかに晴れた2月11日(火祝)。表参道パウゼで、第9回三善晃ピアノコンクール入賞者記念コンサート開催!
ちょっぴりさびしいことに。。。。
私の生徒さんはどなたも演奏しなかったのですが、それでも、ずっとこのコンクールに出場を続けていて、演奏をよく知っている出演者も数人いて、その成長を頼もしく思いました。
また1月15日、16日の本選で審査させて頂いた時の演奏も覚えているので、その時より一段とよくなっていた出演者もいましたし、また逆に、ん??今日はあの時の感動ほどでもないなぁ・・・という出演者も!
このコンクールで評価されるのは、ばりばりとおどろくような技巧で弾くというよりは、心を込めた丁寧な音楽づくりです。フレージングのよさ、音の美しさが際立つ演奏が高く評価されます。
実際昨日の入賞者演奏会は、当然ながら、全員が絶妙なフレージングの持ち主でした。
心の中にひとまとまりの歌があって、それが手を伝って表現されていく。それが次々見事な構築性をもって全体を作り上げる。
。。誰に教えられたでもない歌心が心の中にあって、おのずからそれが外に向かって放たれて出来上がるのでしょう。才能というものかしら。
何人かの出場者は、数少ない音符でどうやってあれだけの音楽を表現できるのかと思うほど、響きを巧みに操ることに精通していて驚かされました。
『浜百合の恋』という曲。浜辺に割く花がはかなく悲しい恋をする・・そのまま私たち聴く者の心の中に像を結ぶのです。たったあれだけの音で。究極の表現性でした。
さて。。。
コンクール実行委員長の杉浦日出夫先生が名古屋からご来聴ならずで、代わって、今回本選審査委員長を務めた私がご挨拶の辞など述べることになり、人前で、それも入賞者たちを前にお話をするなぞ、かなり危機的状況・・ではありました。
しかし、気を取り直し、三善晃エッセイ集「ヤマガラ日記(カワイ出版)」の中から、もっとも気に入っているエッセイのひとつ『江戸の豆腐百珍』を話のベースに選びました。
「ヤマガラ日記」は、日記のように三善晃が綴り続けたエッセイ(随想)が67も収録されています。その中にあって、私が何度も何度も飽きることなく読み返してしまうのが、この『江戸の豆腐百珍』です。
豆腐と音楽と何の関係があるのだ。。。とご心配される方々、そこはご安心を。関係づけがあるのです。
江戸の豆腐百珍は、1780年に板版で世に出て、当時、つまり江戸時代にペストセラーとなり、その現代語訳を三善先生は読まれたわけです。
1780年と言えば、ベートーヴェンはまだ10歳。ショパンもシューマンもリストも影も形もなかった頃のこと。
豆腐は庶民の食卓に日々のぼる食材で、その百通りの調味方法が記されていました。
面白いのは・・・と三善晃が思ったのは、その調味方法が6段階にランク分けされていることで、それは下から・・・
尋常品、通品、佳品、奇品、妙品、絶品となっています。
尋常品とは家庭で普段食されているもの。
通品は、一般に広く知られる食べ方。
佳品は、尋常品よりすぐれて、形も美しいもの。つまりこのランクから外に出せるものになる。
奇品は、人々が気が付かない調理法で、一風変わっているもの。
妙品は、これらより一段と見た目も味もすぐれているもの。
そして。。。
絶品は、奇をてらわずとも真の豆腐の味を伝え、絶妙なる調和がとれているもの。
というのが定義です。
これこそ音楽そのもの、音楽コンクールそのものではないか、と三善晃先生はピンと来たのでした。
現代のコンクールはともすると、奇品争いになりかかってはいないだろうかと疑問を投げます。
確かに世界的な大コンクールでは、すごい才能ではあるけれど一風変わった演奏をする人が、必ずと言っていいほど入賞しています。
その奇品から、妙品を超えて、絶品までの道程こそが、芸術の真価を問われる領域である、と三善先生は仰られる。
人が気づかない解釈をし、仕上がりの形も見事だし、時には上手すぎる出来栄え、それも結構なのだが、実は、そこから先が芸術家になるためのプロセスなのであると。
。。これが三善先生の持論で、私もこの話に賛同大なので、ご挨拶に取り上げるのはこの話をおいてないと思ったのです。
今日の入賞者の演奏にはただの一つも『奇品』はなく、『奇品』勝負のコンサートではありませんでした。
その先の音楽を真摯に追求し、芸術の域を目指す演奏ばかりだったと、静かなる感動に浸らせて頂けたコンサートでした。
そして、私に続いて、コンクール運営企画をされたカワイ出版の亀田部長が、三善先生についての記憶として・・・
「コンクールは1位を取って終わりではない。同じコンクールでも別の部門があればまた受けてみる。もう1位を取ったから次は1位を取れないかもしれない、と臆病になる必要はない。受ける気持ちが成長そのものなのだ。」
・・・と三善先生は仰っていたと述べられ、第9回三善晃ピアノコンクールの〆の言葉となりました。
楠原祥子
 

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