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毎年、今年こそは庭の蕗のとうを天ぷらにして食べよう!と張り切るのですが、気がついた時はいつも時すでに遅しで、とうが立って花が咲いてしまっています。

まだ蕾のうちに蕗のとうを見つけるには、寒いのを我慢して毎日庭に出て見張っていなければだめ、とは友人の忠告です。

春の兆しがあちこち、桜の便りも聞こえてくるのは平和な日本の話です。

時々刻々とウクライナ情勢が変わっていき、まったく屈さないウクライナの人々を見てなんとも言えない気持ちになります。

その魂は、ロシアの支配に苦しんできた長い年月と、中世の時代からの騎士道精神にのっとり、男は領土を守るためにすべてを賭けて戦う、という想いで今は熱く燃えているのでしょうか。

ゼレンスキ大統領がその昔出演していたコメディ映画をテレビが断片的に流していました。コメディアンから身を立てて大統領にまでなり、身体を張って毅然とウクライナを防衛している。そしてあんなにも堂々と世界に向けて発信しているのを見て、心を動かされない人がいるでしょうか。

ポーランドはウクライナが止めてくれなければ、次はポーランドも危ないという危機感を持っているのか。それとも大丈夫だと思っているのか。

ポーランドの長い侵略の歴史。ポーランドは18世紀末の第1次3国分割に始まり、180年間も国が消滅していたのです。

東側はロシア、南はオーストリアハプスブルグ帝国、西側はプロイセンの支配で、例えば作曲家のモシュコフスキはブロツワフ生まれのポーランド人ではあるけれども、当時のプロイセンの支配によりベルリン、パリに定住し、ポーランド人のアイデンティティはまったく薄い。

ポーランドはそれからもナチの侵略と破壊、ロシアの共産国支配と続き、ワレサを中心としたグダニスクの造船所に始まった連帯運動が生まれて、やがて世界情勢の動きとともに共産党支配を覆すに至ったのでした。

今は安定を得て、若い世代は連帯運動を実際には知らないほどに時が経っています。

これまでも多くのウクライナ人がポーランドに労働を求めて入ってきていました。

私が留学時代からお世話になっているHanka&Andrzejの家のお掃除をしてくれていた女性もウクライナ人、近所の美容サロンのペディキュリストさんもウクライナ人でした。

何より友人のウクライナ人チェリスト、エドアルドはなんと思っているでしょうか。彼自身はドイツのバンベルク交響楽団にいるからいいけれども、ご両親や親戚はどうしているでしょうか。

ウクライナとポーランドの間にはある種の連帯意識があるだろうけれども、ポーランドは突然200万人ものウクライナ人が入ってきて、どのように対応しているのでしょうか。

ポーランドと同じくウクライナも日本より季節は1ヶ月半は遅れているので、5月にりんごの花が咲くまで、まだ本当の春は遠い日々です。

私事ですが。。。

昨晩第3回目のコロナワクチンを打ちました。モデルナです。

それにしても腕が痛い。10センチと腕を上げることができないし、高いところにある物を取ろうと思ったら、左手で右腕を持ち上げないと上がらない。昨晩は寝返りもうつのに一苦労なくらい身体の節々が痛くて、今も体中が痛い。。。おかしいわね。1回目と2回めはファイザーでこんなことはなくケロリンとしていたのに。

でも。。。

私の身体が痛くたって騒いではいけないのです。

ウクライナの人々やそれを助けるポーランドではコロナはどうなっているのかしら。明日の生活すら目処が立たない彼らはコロナの恐怖どころではないですね。

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