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6月2日(木)桐朋の宗次ホールで、世界のショパン研究の第1人者であるジャン=ジャック・エーゲルディンゲルの講座開催!!

「弟子ミクリによるショパンの教えの伝達」通訳:海老彰子

ショパンのピアニズムは、弟子の中でも数少ないプロフェッショナルなピアニストたちによってかろうじて継承されています。

ヨーロッパの東側は、現在のウクライナのリヴィウ(ルヴッフ)の音楽院で教えたカロル・ミクリ。西側はパリの音楽院で教えていたジョルジュ・マティアス。この二人がショパンの継承者の代表格です。

東のミクリの弟子たち、つまりショパンからすると孫弟子にあたるピアニストたちの中でもミハウォスキ、ローゼンタール、コチャルスキは偉大なコンサートアーチストとして活躍しました。

例えばミハウォスキはショパン国際コンクールの創設者の一人でもあります。私もこのミハウォスキのアレンジによるショパンの『子犬のワルツ』を弾いたことがあります。

これらのピアニストたちは、19世紀終わりから20世紀にかけて活躍していますので、幸いなことに録音が残っており、その演奏には幾らかでもショパンのピアニズムの伝承が感じられます。

数多くある録音からエーゲルディンゲル先生が選ばれたのは、

・1938年録音コチャルスキのノクターン第2番(装飾音が10倍増している)https://www.youtube.com/watch?v=NL4PjVNyj5w

・1930年録音ローゼンタールのマズルカOp.50-2

・1905年録音ミハウォスキの24の前奏曲Op..28からハ短調

・1948年録音コチャルスキの子守歌Op.57

・1938年録音コチャルスキのエチュードOp.10-9 ヘ短調

以上の5曲です。とても素晴らしいセレクションだと思いました。

エーゲルディンゲル先生の長年にわたる研究と、培われてきた美意識によって、とても注意深く、これならと思われた録音を選曲されていることが感じられます。

私も桐朋で行っている「ショパンの作品解釈」の講義で、『ショパンのピアニズムの継承』をテーマに、ミハウォスキ、コチャルスキなどショパンの孫弟子たちの録音を必ず学生とともに聴きます。ショパンのピアニズムを知り、自分自身の演奏に生かすことを目的にしているのですが、これら数ある古い録音の中からどれを選ぶか、選曲に困ることがありました。というのも、古い録音ですから、雑音がきれいに取り除かれていないことも多く、特にミハウォスキの録音の多くはそうです。

また、ショパンのピアニズムの継承という大テーマがあると、単に演奏の好き嫌いや、感覚の一致では選ぶことができず、理由づけが必要になり、正直なところ選びきれなかったのですが、エーゲルディンゲル先生の選曲は5曲それぞれが全く違った方向性を持っていますが、主張が明確にわかるセレクションです。雑音もきれいに取り除かれたものをセレクトされており、参考にさせて頂こうと思います。

ショパン研究に入られたきっかけは、「ショパンの弟子になりたかったから」だそうです。心持ちが大きいなぁって思います。

私もある時ワルシャワの街を歩きながら、「そうだわ、もしショパンが生きていて偶然ここで会ったらポーランド語で話ができるってことよね。そうしたらお家に押しかけたかも。。。」などととんでもない空想をしていました!

エーゲルディンゲル先生は、長年机上の研究に従事されていますが、その研究でも「直感」と「感性」が結論!であるとされています。

「それにしても、なぜこんなにたくさんの言葉ばかりがあるのでしょう?伝統ではなく、直感が必要なのです。そして勉強(travail)は、直感を生み出すことがあるのです。私自身、経験しました。長年に渡り、私は伝統とは決まりきったものであり、仕事=勉強が直感を生み出さなければ、伝統さえも無意味であると確信するようになりました。技術だけでは充分ではありません。それはショパンにささげる小さな神殿を建てるために必要な単なる土台に過ぎません。」

これは同じくショパンの弟子マルツェリーナ・チャルトリスカの言葉です。これにかけて、エーゲルディンゲル先生自身の結論でもあると仰っています。

直感というのは、結局自分の思考と目指すものが一致した時にはたらくものですね。天啓が降りてくると言うべきか。気持ちに反して直感がはたらくことはないですよね。

海老彰子さんの通訳は、とても人間的で温かみがあり、それでいて的確でした。そのおかげさまで、私たちもエーゲルディンゲル先生のショパン研究の一端をよく理解することができました。

ホールが一段と神々しく感じられたプラチナペア!

実は、エーゲルディンゲル先生の研究パートナーであるクシストフ・グラボフスキは、私とは兄妹弟子の仲です。バルバラ・ヘッセ・ブコフスカのクラスで私達は同時期に学んでいました。クシシュトフはブコフスカ先生宅の地下のお部屋に住み、私は先生のご両親宅に住んで共に学んだのでした。私は先生のモーレツな爆弾を受けながら!クシシュトフには先生はとっても優しかったゾ。

彼はパリに移ってから楽譜の校訂の仕事に従事するようになり、素晴らしい業績をあげて、現在はエーゲルディンゲル先生と共にペータース版の新ショパン全集を手がけています。クシストフが校訂したのはワルツ。

そしてつい最近出版になったのがノクターン第2番の特別版。

スマホの手が写ってしまいすみません! Grabowski校訂です。

忘れもしない、もう15年くらい前のこと、彼のワルツがリリースされる前のことです。クシシュが新ペータース版のワルツの校訂をしていてまもなく発売になる、とブコフスカ先生から聞き、先生も私も心待ちにしていたのですが、ち〜っともリリースの気配がなくウソだったのかしら。。。とまで思い始めた頃、偶然パリからワルシャワに来ていたクシシュとブコフスカ邸で会うことができて、

「ワルツはいつ出版になるの?」

「もうまもなく!」

「いつ聞いても、まもなくじゃないかってみんなも言ってるけど。。。」

「いやほんとにもうすぐだよ、ホントだから!」

「あらそう。。。」

こんな会話をしたのでした。その後もちろん立派にGlabowski校訂のワルツは新ペータース版で刊行され、現在は桐朋の図書館にも私の本棚にも大切におさめてあります。

クシシュとは音楽祭のジョイントコンサートで一緒に弾いたこともあります。終演後に私は美しいブーケを頂き、クシシュはなぜかチョコレート1枚。それも荷物をしばるような麻紐で括ってあって、一応蝶結びがしてありましたが、荷物用の麻紐がうまく蝶結びになるわけもなく、私たちはそれを見てえらく笑ったのでした!

そのクシシュは今は立派なショパンの校訂者。素晴らしいわ。

エーゲルディンゲル先生にグラボフスキと同門弟子であることをお話しすると、とても興味を示して下さって、「グラボフスキは素晴らしいよ。あなたのネームカードを下さい。グラボフスキに伝えますから」と光栄にもおっしゃって下さり、天にものぼる気持ち♡でした。

私が頂戴したエーゲルディンゲル先生のお名刺。これはもう生涯の宝!

サインもしっかり頂きました。これも宝物だわ!
左から新井博江先生、中井恒仁先生、とんで私、阿部美果子先生と。

これらの写真は、恥ずかしいのを我慢してデーンとお二人の真正面に陣取って私がiPhoneで撮影したものばかり。強い意思があれば何でもできるものでございますね。。。!

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