『絶筆のマズルカ』はどこまでが正真正銘ショパンの作?
長年ショパンの『絶筆のマズルカ』とされてきた、遺作ヘ短調マズルカのトリオ部分です。スケッチなので極めて読み取り困難です。
この部分を欠いた主部だけのフォンタナ版が、一般的には多く演奏されます。
近年のショパン学者たちの研究により、このマズルカは生涯最後の絶筆だったわけではなく、おそらく死の3年ほど前、1846年頃に書かれたであろうことが現在では認められています。
詳しく書けば、作品63の3つのマズルカの2番のために意図して作曲を始めたが、それが現在の63-2のヘ短調にとって変わったため、使用されなかった、・・・・というのが、ジェフリー・コールバーグの仮説で、しかもかなりこの仮説は信憑性が高いといいます。※ジム・サムソン著「ショパン 孤高の創造者」より
死の年1849年に書かれた最後のマズルカは、遺作ト短調(作品67−2)であることもわかっています。
長い年月、あのエキエル先生でさえ、ヘ短調が最後の絶筆だと信じて疑わなかったのはなぜなのでしょうか。スケッチの様相から、すでに死を目前にして力尽きそうなショパンのペンの乱れ具合そのものである、という見方もできたでしょう。
また、どのような経緯によって、そうではないことが判明したのか、非常に興味深いところですが、その資料は、今のところ私は見つけることができないでいます。
さて、このスケッチについて、エキエルはこのトリオ部分を再構築し、エキエル版には「エキエルによるリコンストラクション」とことわりを付けて出版しています。
私もマズルカ全曲CDにこのバージョンを収めましたが、どこまでがショパンの作で、どの程度エキエルの手が入っているのかが❓疑問❓でした。
大変失礼ながら、違和感を覚える部分はエキエル先生の作曲なのかしら?とすら思っていたのです。
それで、ワルシャワ在住のエキエルの直弟子だった河合優子さんに尋ねたところ、この写真のように、読み取れる部分をピンクに色付けして下さいました。

それからお互い丹念に探してピンク色を増やしていくうちに、トリオ部分の16小節すべてが、ここに書かれていることがわかりました!

❓‼️そうだったの❗️
エキエルは、トリオを「復元」したのであって、強弱や速度などの演奏記号は足してはいるが、音は正真正銘ショパンの作曲だとはっきりと判明しました。
楽譜の左側の真ん中に F dur と書かれており、ここからトリオが始まります。それを右に見ていくとワンフレーズが終わり、その上にはトリオの終わりから主部へ戻る音も書かれており、2フレーズ目は少し音が変化して、F durと書かれた下の2段から始まっていることも読み取れます。
あちこちに散在してとても判読しにくいので、エキエル先生が最初に読み取った時の献身的な労力は、想像を絶するものです。
そのようなわけで。。。。
それならば!です。
スケッチ状態の音楽が弾かれるのをショパンが喜ぶかはさておき、今後はトリオのあるバージョンを弾くことにしよう、と思った次第です。
何にせよ、音はショパンによる音なのですから!
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