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今年度から桐朋で特任講師として再スタートしています。
5月14日 には国立音大教授の加藤一郎先生をお招きして、『ショパンのバロック音楽の受容について』を私の担当授業でお話し頂きました。
ショパンはポーリーヌ・シャザレンPauline Chazarenというフランス人女性に、1845年秋から約1年間レッスンをしています。当時シャザレンは18歳。
このいきさつにはリストがからみ、同年リストがグルノーブルでコンサートを行った際にシャザレンを聴き、その才能を即座に感じ取り、パリのショパンに紹介状を書いたのです。
近年になって、シャザレンが所持していたバッハ平均律Richailtリショー版(パリで出版)の楽譜が見つかり、レッスンでのショパンの書き込みが多数残されていました。
Eigeldinger,Jean-Jacques(ed.).2010. J.S.Bach Vingt-Quatre preludes et Gugues(Le Clavier bien tempere. Livre Ⅰ) Annote par Frederic Chopin. Paris :Societe Francaise de Musicologie.  ショパンの書き込み楽譜ファクシミリ版 2010年出版
それら書き込みを学生に弾いてもらい、現在私たちが弾いているヘンレ版の音と弾き比べてみます。

平均律からわかるショパンの調性感覚とバッハへの傾倒が、弾いて響きと解決音への導き方を知ることで非常によくわかりました。
平均律の完成は、1巻が1722年、2巻が1742年。ショパンの書き込みはその後100年を経てのことで、それを加味して考えなければならないですが、バッハの剛直さ(加藤先生による)、ショパンの流麗さが聴き取れます。
加藤一郎先生によるその後のコメント(FB掲載)
楠原先生、今日は本当にお世話になり、ありがとうございました。
写真の私は、恐らく次にどのように説明すればよいか、窮しているようですが、これでは、次に余程良いコメントをしないと、学生は白けてしまいますね。今回は少し専門的な内容で、PCのトラブルもあり、反省点を頂きましたが、多くの学生は最後まできちんと聞いて下さいました。日々、努力して参らねばと思い至りました。重ねてお礼を申し上げます。
実は私は大きな問題を感じています。ショパンはあれだけバッハ《平均律》を研究したにも拘らず、学習的な2声のフーガイ短調を1曲しか書きませんでした。ベルリンの大作曲家ツェルターの下で、ショパン同様キルンベルガーの『純粋作曲技法』で勉強した一歳年下のメンデルスゾーンは多くのフーガ(それも「前奏曲とフーガ」というドイツバロックの基本的形式)を書きました。私としては、あれだけバッハを研究したショパンがどうしてまともなフーガを書かなかったか、ということが引っかかっているのです。何方か良いお考えを頂けませんでしょうか?  
ただ、救われるのは、ショパンはフーガの代わりに、短いけれど、素晴らしいカノン或いはカノン風パッセージを書いて、主に1841年以降の後期作品の中に挿入しました。それによってマズルカを単なる民衆の踊りから立派な芸術作品に位置付けました。それらのカノンを聞くと、本当に後期のショパンの音楽的思索の深さを感じざるを得ません。  
前奏曲については、最もスタイルの古い和声をただ分散するもの、小音形の反復、アリオーソ的な小品、エチュード的な作品、インヴェンション的な作品、これらは全てショパンの前奏曲作品28に取り入れられていますね(ショパンの前奏曲にはレチタティーヴォやもっとピアニスティックなものもありますが)。
(これは内緒ですが、ショパンの前奏曲作品45はダングルベールやクープランが書いたノンムジュレ(小節線の無い)の前奏曲から着想を得たような気がしています。この時代になって、やっとフランスバロックの作曲家の楽譜が出始めましたので)。
バッハのリチェルカーレと2重フーガを連結したような7番の前奏曲は実際にはオルガンなどでしばしば演奏されていても平均律としてはやや異例です。第2巻になると、ウィーン古典派のソナタ楽章を思わせるような前奏曲も出て来て、最近はその音楽的なアイデアの豊かさに心を打たれています。 
最も、メンデルスゾーンが10代の時に用いていた練習帳を見ると、そこにはフーガやカノンがぎっしり書かれています。つまり、これは当時、作曲家を目指す者が行なうべき日々の訓練で、ピアニストがエチュードを練習することと同じですが、ショパンがフーガを書かなかったのは、ツェルターとは違って、エルスネルがそうした日々のトレーニングをショパンに課さなかった代償かもしれません。そうすると、フーガが書けなかった大天才ショパンは、芸大にも入れなかったことになってしまいます。
しかし、例えエルスネルがそうした課題をショパンに課したとしても、ショパンはそれに従ったでしょうか??? 或いは、ジヴニーがショパンの指使いの癖を直そうとしたら、ショパンの作品はどうなったでしょうか??? 少なくとも、練習曲作品10-2や25-6、11という彼の代表的な練習曲は生まれなかったことは確実です。彼の運指法はピアノ演奏技術の核心から生まれたものです。ショパンに教条主義を求めたら、彼は音楽家になることをやめてしまったかもしれません。 
従って、教育機関は信頼性のある教育システムを構築しておくことはある意味で必要ですが、本当に天才的な人材を育てることに関しては、システムには捕らわれず、個々の生徒の質に適した教育法が大前提になってきます。教師は非常に重い責任を背負っているわけですが、大天才とまでは言えなくても、それに準じた生徒は日本にも割と居ますので、そうした生徒をどのように育てて行くかということが、この国の芸術文化の発展に大きく関係してくると思います。この点は非常に重要且つデリケートな問題で、教師としての経験も必要でしょうし、本当に慎重に判断すべきことと思います。皆様如何お考えでしょう。

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